給料をもらった猫公務員——アメリカ議会図書館が1898年から猫を正式雇用した実際の歴史記録

給料をもらった猫公務員——アメリカ議会図書館が1898年から猫を正式雇用した実際の歴史記録

2026-06-12

19世紀の連邦政府猫給与記録 | アメリカ政府猫公務員の歴史 | 世界最大の図書館に隠された物語

アメリカ国立公文書館には、ほとんどの人が生涯一度も開くことのない書類の束が眠っています。 憲法の原本。独立宣言。歴代大統領の行政命令。そしてそれらの合間のどこかに、はるかに知られていないけれど、ひょっとしたらどれよりも面白い書類が一枚、静かに待ち続けています。 アメリカ合衆国連邦政府が猫に給料を支払ったことを示す、公式の会計記録です。 金額が明記されています。用途も記載されています。署名もあります。印章もあります。連邦政府が猫を正式な職員として雇用し、その職員に法的に有効な給与を支払ったことを証明する、完全な行政文書が実際に存在するのです。 物語の始まりは図書館でした。ありふれた図書館ではありません。世界で最も多くの本を所蔵する、あの場所です。

議会図書館の誕生と、ネズミという難題

アメリカ議会図書館(Library of Congress)の歴史は、順風満帆とは言えませんでした。 1800年、連邦議会がワシントンD.C.へ移転したことを受け、議員たちの業務を支援するための参考図書館が設立されました。当初は議事堂の建物内に小さなスペースを占めるだけで、規模もごく慎ましいものでした。 ところが1814年、英国軍がワシントンに侵攻し、議事堂を焼き払いました。図書館も一緒に灰になりました。約3,000冊の蔵書がすべて失われたのです。 このとき救いの手を差し伸べたのが、元大統領トーマス・ジェファーソンでした。彼は個人蔵書6,487冊を議会に売却したのです。ジェファーソンの蔵書は法律書ではありませんでした。哲学、科学、文学、地理、建築——「知識に境界はない」という信念のもとに集められたものでした。この原則が図書館の精神となり、今日まで受け継がれています。 その後、図書館は急速に成長しました。19世紀半ばには蔵書数が数十万冊に達し、1897年には専用の建物、トーマス・ジェファーソン・ビルディングが完成しました。イタリア・ルネサンス様式のこの壮麗な建物は、当時世界最大かつ最も美しい図書館建築のひとつでした。現在もワシントンD.C.を代表するランドマークとして知られています。 しかしこの壮大な図書館には、頭を悩ます問題がありました。 ネズミです。 数十万冊の本、書類、地図、写本——すべて紙と皮と布で作られています。ネズミにとってこれ以上ない食材の宝庫です。建物が大きければ大きいほど、ネズミも多くなります。19世紀の建築構造ではネズミを完全に遮断することは不可能でした。毒薬は本にも人にも危険です。罠には限界があります。 解決策は、人類が数千年にわたって頼ってきたものでした。

最初の公式記録 — 1898年の給与明細

議会図書館が猫を正式に雇用したという最もよく知られた記録は、1898年に遡ります。当時の館長、エインズワース・ランド・スポフォード(Ainsworth Rand Spofford)の在任期間中、図書館の運営予算の項目に興味深い一行が現れます。猫の餌代および管理費用。そしてより直接的には——猫の給与(cat salary)。 正確な金額は記録によって多少異なりますが、最もよく引用されるのは年間25ドルから40ドルという範囲です。現在の価値に換算すれば800ドルから1,200ドル程度。少額に思えるかもしれませんが、当時の非熟練労働者の日当が1ドル前後だったことを考えると、決して無視できない金額でした。 この給与はもちろん、猫に直接渡されたわけではありません。管理担当の職員がその費用を受け取り、餌代、医療費、管理費に充てました。しかし重要なのは、予算項目の名称です。これは「動物管理費」でも「害虫駆除費」でもありませんでした。公式文書に記載された項目は、猫を被雇用者として扱うことを含意する形で書かれていたのです。 官僚制の厳密さが、この事例をいっそう興味深いものにしています。アメリカ連邦政府の会計システムでは、すべての支出に目的と受益者が明記されなければなりません。そのシステムの中で、猫は受益者として記載されました。冗談ではなく、真剣な行政的処理として。

猫を雇った男 — スポフォードという人物

エインズワース・ランド・スポフォードは、1864年から1897年まで33年間にわたって議会図書館長を務めた人物です。アメリカ図書館史上、最も重要な人物のひとりとして評価されています。 彼が館長に就任したとき、議会図書館の蔵書は約82,000冊でした。退任するときには100万冊近くに達していました。この驚異的な成長の鍵となったのが、1870年に彼が推進した著作権法の改正です。アメリカで著作権登録を行うには、必ず2冊の本を議会図書館に納本しなければならないという条項を盛り込んだのです。 これは天才的な政策でした。アメリカで出版されるすべての本が自動的に議会図書館に入ってくる仕組みです。予算を使わずに蔵書を無限に増やす方法。スポフォードはこの政策によって、議会図書館を世界最大の図書館へと向かう道に乗せました。 ところが蔵書が爆発的に増えるにつれ、問題も大きくなりました。本が多ければ、ネズミも多くなります。スポフォードは実用主義者でした。問題を解決するために最も効果的な方法を選びました。 猫を雇ったのです。 スポフォードが猫を単なる害虫駆除の道具として見ていたのか、それとも少し違う視点で捉えていたのかは、記録に残っていません。しかし猫の給与が公式予算に計上されたという事実は、彼がこの動物たちを単なる消耗品ではなく、図書館の実質的な構成員として認識していたことを示しています。

議会図書館だけではなかった — 連邦政府の猫たちの大きな歴史

議会図書館の猫雇用の話は、実はより大きな歴史の一部でした。 19世紀のアメリカ連邦政府では、複数の機関が猫を公式に活用していました。そしてこれは議会図書館で特別に始まったことではなく、長年の慣行が公式化されたものでした。 国務省(State Department)は1860年代から猫関連の費用を公式予算に含めていました。重要な外交文書や条約の原本を保管するこの機関で、ネズミによる被害は国家的な災害になりかねませんでした。外国と締結した条約の原本がネズミに齧られるということは、単なる文書の損失ではなく、外交的な危機を意味していました。 財務省(Treasury Department)も同様でした。紙幣や債券、財政記録が保管されたこの機関では、ネズミによる被害は直接的な金銭的損失でした。印刷された紙幣がネズミに齧られる事態が実際に起きており、それが猫の雇用を加速させました。 1907年、アメリカ連邦政府は公式に「政府猫(government cats)」プログラムを認める指針を作成しました。各政府機関が必要に応じて猫を雇用し、その費用を運営予算から執行できることを明文化したのです。猫たちは正式に連邦公務員制度の一部となりました。 このプログラムは20世紀まで続きました。公式記録によれば、アメリカ政府の猫雇用プログラムは1952年まで公式に運営されていました。その後も非公式なかたちで継続され、一部の機関では現在に至るまで続いています。

名を残した連邦猫たち

数十年の歴史の中で、名前を後世に残した猫たちがいます。 トム(Tom)は19世紀末の議会図書館で最も長く勤務した猫として知られています。正確な在任期間は記録によって異なりますが、少なくとも10年以上は図書館を守ったとされています。当時の図書館職員の回顧録によれば、トムはネズミ捕りの腕前が優れていただけでなく、図書館を訪れる見学者にも人気があったといいます。特に子どもたちがトムに会いたがったという記録が残っています。 ここで思わず「もしかしてあのアニメの名前の由来では?」と想像してしまいますが、残念ながら議会図書館の猫トムがアニメ「トムとジェリー(Tom and Jerry)」誕生のきっかけとなったわけではありません。二つのキャラクターの名前はまったくの偶然と社内公募によって生まれたものです。 「トムとジェリー」という名前の本当の由来はこうです。1940年に制作された第一作「猫の恩返し(Puss Gets the Boot)」では、猫の名前はジャスパー(Jasper)、ネズミの名前はジンクス(Jinx)でした。大ヒットを受けてMGMがキャラクターの名前を公募したところ、アニメーターのジョン・カー(John Carr)が提案した「トムとジェリー」が選ばれました。 この名前の背景には、1821年にイギリスの作家ピアス・イーガン(Pierce Egan)が書いた小説『ロンドンの生活(Life in London)』の主人公トムとジェリーへの言及、そして当時アメリカで流行していた同名の温かいカクテルがありました。さらに英語で雄猫を「トムキャット(tomcat)」と呼ぶ習慣もこの名前を後押ししました。議会図書館の猫トムとアニメのトムは、名前だけを共有する赤の他人というわけです。 一方、国務省の猫たちに関する記録は特に興味深いものがあります。1880〜90年代に国務省で働いた猫たちについての台帳記録が、現在も国立公文書館に保管されています。餌代、獣医代、さらには猫が病気になったときの治療費まで丁寧に記録されています。アメリカ外交史を扱う文書の合間に、猫の医療費の領収書が挟まっているのです。 財務省の猫たちにまつわる最も印象的な記録は、議会の公聴会から生まれました。1920年代、ある議員が政府予算の削減を議論する中で猫関連の予算に異議を唱えました。財務省の担当者は、猫がいなければネズミによる損失が猫の費用の何十倍にもなるだろうと答弁しました。猫が議会で弁護されたのです。そして猫は、その公聴会に勝ちました。

官僚制が明かすもの

この物語で最も興味深いのは、猫そのものではないかもしれません。それを処理した官僚制のあり方です。 アメリカ連邦政府の会計システムは、すべてを文書化します。予算項目、支出明細、監査記録。このシステムは猫に出会っても、まったく同じように機能しました。 猫は被雇用者でした。被雇用者には給与が必要でした。給与には予算項目が必要でした。予算項目には名称が必要でした。だから行政文書に「猫の給与」という項目が生まれたのです。被雇用者には福利厚生が必要でした。だから医療費と餌代が公式支出として処理されました。 この過程で、誰も「猫に給与を払うことは適切か」を真剣に問題にしませんでした。問題は実用的なものでした。猫が必要だ、猫を維持するにはコストがかかる、そのコストはどこから出るのか。官僚制はこの問いに答え、その答えは文書として残りました。 イギリスのダウニング街10番地が猫のラリー(Larry)に公式の職名を与えたように、ロシアのエルミタージュ美術館が猫を文化財保護官として認めたように、アメリカ連邦政府は猫を給与台帳に載せました。形は違っても本質は同じでした。この動物がこの空間で実質的な役割を果たしているという認識。その認識を、それぞれの文化が可能な限り公式な形で表現したのです。

1952年以降 — 公式から非公式へ

1952年、アメリカ議会は連邦政府機関の猫雇用予算を公式予算から除外する決定を下しました。名目は、現代的な害虫駆除技術の進歩でした。より効果的な殺鼠剤、超音波装置、専門の駆除サービス。猫がしていたことを、より体系的に行える方法が生まれたというわけです。 しかし猫たちが完全に姿を消したわけではありませんでした。複数の機関で猫は引き続き存在していました。ただし公式予算ではなく、非公式な形で——職員たちが自発的に餌を持ち込んだり、運営費のどこかから少額が充てられたりするかたちで。 議会図書館の場合、20世紀後半まで館内に猫がいたという職員の証言があります。1990年代まで図書館の特定の区画に猫がいたという話も伝わっています。公式記録にはなくとも、長年続いてきた伝統は、そうして非公式に命脈を保ち続けたのです。

ジェファーソン・ビルディングの夜に

トーマス・ジェファーソン・ビルディング。議会図書館の本館です。 その内部に広がるグレート・ホール(Great Hall)は、精緻なモザイクタイル、大理石の柱、黄金色の天井を持つ、アメリカで最も壮麗な内部空間のひとつです。ヨーロッパのどんな宮殿と比べても引けを取らない格調があります。 その壮麗な空間の下、19世紀のある夜のことを想像してみてください。最後の職員が退勤し、図書館の扉が閉まります。グレート・ホールのガス灯が消えます。静寂が降り積もります。 そしてどこかから、一匹の猫が現れます。 憲法の写しが収められた書架のあいだを、探検家の航海日誌や大統領の演説原稿や詩人の草稿が眠る書棚のそばを、アメリカが自らについて記録したすべてのものの間を——猫は静かに歩いていきます。ネズミの痕跡を追いながら、人類の知の集積を守りながら。年俸25ドルから40ドルの連邦公務員として。 それが猫のしてきたことでした。何千年ものあいだ、どの文明においても。人間が最も大切にするものの傍らで、それを静かに守り続けること。公式文書があろうとなかろうと、給与があろうとなかろうと。 猫はただ、そこにいました。 そしてそれで、十分でした。
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